誰かの正体

冬があり夏があり 昼と夜があり 
晴れた日と 雨の日があって ひとつの花が咲くように 
悲しみも 苦しみもあって 私が私になってゆく
- 星野富弘 -

 

まず、自分の事が好きでないと、
しかも”~である自分”とか”~できる自分”じゃなくて
無条件に自分が好きでないと
私であるために悲しみや苦しみが必要と言われても
どこか理不尽な気持ちが残りますね。

自分を嫌うなんて
生んで育ててくれた両親に失礼だし
酷い境遇で必死で生きている人に申し訳ない
罰当たりな行為であると理解しています。
理解しては居るんですが
やっぱり嫌な野郎だなぁと思うので
せっかく悲しみや苦しみを通り抜けたなら
私が誰かになって欲しい気もします。

まぁ、その誰かこそ
まだ実現していない私かも知れませんね

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