
いい会話とは「意見が違う」という出発点から始まり、
「協力しよう」でしめくくるもの
- 中山庸子 -
この頃は、出発点からして
「いい会話」からは程遠い気がします。
同じ意見のふりをする人が多いかと思えば
相手のを「意見」と認めずに
なんとかやり込めようとする人も居て
私の記憶が美化されているのかもしれないけど
昔は様子が違っていた気がします。
確かに、小学生くらいはそうだったにしても
段々と「相手の言い分」が聴こえてきて
妥協することを覚えて行く中で大人になったはず。
もちろん、大人になれない人も居て
それが好い方向に出る人も中には居たりして
色んな人が居て面白かった。
「それは違うと思う」と言ったとたんに
ばい菌でも見るような目つきをされたのでは
いい会話は難しいでしょう